幸せについて真剣に考えてみた
僕はニートだけど、幸せになりたい。
「幸せ」って何だと思いますか?
この命題、与太郎の私が考えるには深すぎる命題。この命題についてニートがもうダメーだいと言うまで真剣に考えてみます。
幸せを感じる瞬間
それは
忙しい合間に、ふと一息ついた時
家族みんなが笑っている時
誰かと喜びを分かちあってる時
そして
大正義「給料日」
こんな時に「あぁ、幸せだなぁ」と思う人は多いのでしょう。
「幸せ」ってやつは、日常の隙間に潜り込んでいて、時々顔を覗かせます。
特に給料日なんてものは、みんなの味方です。社長からアルバイターまで、みんなの味方です(ニート以外の)。
こうやって考えてみると、幸せは形が様々すぎるという問題もあります(給料日を除く)。
それならば、幸せの対極「不幸」を考えてみましょう。
ニートの現実にため息がつく時
家族が僕を見て笑っている時
誰かが喜んでいる時
そして
給料日じゃない
ざっとこんなもんでしょうか。他にも
面白いブログが見つからない時
深爪しちゃってチクチク痛む時
息子がHIKAKINにハマり過ぎてる時
抜く時のAVのネタが決まりきらない時
好きな人に振られた時
好きな人が他の誰かと2人で帰ってるのを見た時
好きな人がAVに出てた時
娘もHIKAKINに興味を持ち出した時
このブログの内容のなさに気がついた時
不幸が多すぎる。やべぇ、永遠にかける気がしてきた。世界は不幸に包まれてますわ。
幸せって難しい…
どうして、幸せについて書くかと言うと
昨日、人生で2度目の宗教勧誘を受けたのだ。
しかも、2回とも街を歩いている最中に、だ。
因みにどちらも、モルモン教でした。
そんな人います?
どれだけの不幸を背負って生きてるの、俺は?
前世でキリストになにかしたの、俺?
生まれながらの罪人ヅラなのか…やかましいわボケェ。
おっと、失礼。
詳しく状況を話しましょう。
昨日もニートらしく、真っ昼間から買い物に、福岡の街に繰り出していたのです。お目当ての夏野菜を買って帰路についてました。
ネットのお友達とイヤホンマイクで話していたら
外人2人、日本人1人のグループが向かいから来ます。
こっちがイヤホンつけている知ってるはずなのに、急に日本人(顔が五角形だったので以下ペンタゴン)が、握手を求めてきました。
ワッツハプンって、僕は言いそうになりながら、握手しました。
そこからは勧誘です。
ペンタゴン「あなたは幸せですか?」
ニート「うーん、定義によりますかね」
ペ「十段階の評価で言うとどうですか?」
ニ「うーむ、幸せって分からんですわ」
ここです、ここで失態を犯しました。大人しく
ニ「幸せ10でーす」とか言ってればよかったのです。
外人①と外人②のエピソードトークが始まります。「幸セヲ伝ツタエタイケレドモ、日本語余リ上手クナイネ」しらんし、うるせぇよ。
ニ「そうですか」
ペ「幸せって難しいじゃないですか?」
ニ「そうですね」
ペ「僕は大阪出身なんですよ」
ニ「はぁ」
ペ「四人家族なんですが、大阪人ってガが強いんですよ」
ニ「は?」
ペ「毎日喧嘩ばかりを繰り返していました」
ニ「それが?」
ペ「同じ志(恐らくモルモン教)を持ったら、喧嘩も収まり、みんな幸せになりました」
ニ「そうですか」
なる訳ねぇだろ、ど阿呆。
ていうか、プログで書いたら、俺が大阪人が我が強いなんて思ってるみたいになるじゃん。固定観念強めかッ!!B型の血液型のやつは、自己チューって思うステレオタイプかッとか、心の中で突っ込んでおりました。
その後は土曜日に集会あるからと誘われました。しかし、勧誘コントにも付き合ってられないので、丁重にお断りをして、帰りました。
それから、幸せについて考えてたのであります。
長々と能書きをたれましたが、幸せってのは不幸ではないことかもしれないです。
あっ、不幸の一つに宗教勧誘されがちってのも加えないといけないですね。
やっぱり、幸せになるのは難しい。